どんな境遇にあっても
どんな境遇にあっても
厳しい暑さの夏が去り、9月になると今度は秋雨前線や、台風の影響でぐずついた天候が続いています。人間というのはぜいたくなもので、暑い時には「涼しくなってほしい」と思い、こうして肌寒くなってくると「夏の暑さが恋しい」とつぶやいたりします。
昔、傘屋と草履屋へ2人の娘を嫁がせたおばあさんがいました。おばあさんはいい天気が続くと、「傘屋に嫁入りした娘が困っている」と泣き、雨が降ると「草履屋に嫁入りした娘が困っている」と泣いていました。
有名な昔話です。私たちは、「このおばあさんは愚かだな。悲観的過ぎる!もっと前向きに考えればいいのに。」と考えるのですが、しかし客観的に自分を見れば、自分自身もこのおばあさんのような状態になってしまっている、というようなことがいくらでもあるのではないかと思います。
わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。
わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。
わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、
ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。
<新約聖書・ピリピ人への手紙4章11~13節 口語訳>

伝道者パウロはこの手紙を投獄された牢屋の中で書きました。
「どんな境遇にあっても、足ることを学んだ」その人は、牢屋の中にあっても満ち足り、感謝していられる人でした。
聖書を学ぶことで、聖書を通して神様とつながることで、このような確かな生き方が出来るようになればいいなあ、と思っています。
*広島県三原市大和町の白竜湖の朝日です。
(2004年10月撮影)。
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋