種を蒔く者
種を蒔く者

朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。
実を結ぶのはあれかこれか
それとも両方なのか、分からないのだから。
<旧約聖書・コヘレトの言葉11章6節>
先日、茨城の実家に帰省しました。田んぼの稲刈りが始まり、スーパーマーケットには新米が積み上げられていました。
お米だけでなく、ぶどうや梨などの果物がおいしくいただける「実りの秋」を実感する季節になりました。
収穫にあずかるためには、誰かが種まきをしなくてはなりません。
種まきは、大切な種を土の中に埋めていく、一見すると無駄なことのようにも思えるかもしれませんが、将来のための大切な作業です。
お腹がすいたからといって、種もみを全部食べてしまったら、種まきをすることができず、収穫にあずかることはできません。
聖書は私たちに「種を蒔け」と言います。あなたにとっての「種まき」は何でしょうか?
「種を蒔け」という言葉は、今自分のための少しの楽しみを我慢することで、将来誰かが何十倍もの祝福にあずかることができる、という約束のように思えます。
イエス様は「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」<新約聖書・ヨハネによる福音書12章24節>と言われました。
そして、この言葉の通り、十字架の上でご自分の命をささげて私たちのために救いの道を開いてくださったのです。
私に出来ることはイエス様の何万分の一にもならないくらいちっぽけなことですが、それでもイエス様にならって「種を蒔く者」でありたいと思うのです。
*写真は茨城県日立市で。田んぼの向こうに見えるのは久慈川教会です(撮影者:伊藤穣)
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋