離れていても
離れていても
大切な人と遠く離れて過ごさなければならないというのは辛いものです。
わたしも妻と結婚する前の2年ほど、遠距離恋愛をしていたことがありました。現在のように携帯電話やインターネットも普及していませんでしたので、公衆電話に入れたテレホンカードの度数が残酷に感じられるほどのスピードで減っていくのを何とも言えない気分で眺めたものでした。
遠く離れていてなかなか会えない、電話をしたくてもお金がかかるのでそうそう毎日はかけられない…という状況だったそのころ、次の聖書の言葉にとても励まされました。
わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て喜んでいます。
<新約聖書
・コロサイの信徒への手紙2章5節>
大切な人がイエス様にしっかりつながっていることを知るとき、自分もイエス様につながっていたいという思いにさせられます。お互いがイエス様につながっていることで体は遠く離れていても、心は近くにいることができるのだとこの聖書の言葉に教えられました。
今週、とても嬉しいことがありました。北浦三育中学校で学んでいる次男がバプテスマを受けることになったのです。
離れたところにいても、イエス様への信仰によってつながっている、そのようなつながりをもっともっと拡げていきたいと願っています。
*写真は2年前、長男が北浦三育中学校でバプテスマを受けたときのものです。
*30年前、わたしも同じこの場所でバプテスマを受けました。
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋