木には望みがある
木には望みがある
桜前線が日本列島を北上中です。桜の季節になると思い出される一本の木があります。
それは以前住んでいた家からほど近い、亀甲山教会の裏の竹林の中に立つ桜の古木です。周囲を孟宗竹に囲まれて肩身が狭そうに、それでも大地にしっかりと根をおろして立っています。
亀甲山の春の楽しみのひとつはタケノコ掘りです。
タケノコが傷つかないようにていねいに掘り出すのは、結構骨の折れる作業です。
タケノコ掘りをして気持ち良い汗をかいてひと休みするとき、この桜の木の下に腰をおろして桜の花を見上げるのが楽しみでした。
桜が咲く季節、「桜の名所」と呼ばれる場所には花見客が集まり、桜の木々はライトアップされたります。
そのように人々の注目を集める桜の木々がある一方で、この亀甲山の竹林の桜は、ほとんど誰にも見られることもなく、それでも毎年必ずきれいな花を咲かせます。
私はこの桜の古木に、誰に見られていても、あるいは見られていなくても、自分が置かれた場所で地に根をおろして生きることの尊さを教えられたような気がします。
木には望みがある。
たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない。
<旧約聖書:ヨブ記14章7節 口語訳>
十字架の上でその命を「切られても」よみがえり、私たちに永遠の命に至る信仰の芽を分け与えてくださったイエス様に、いつもつながっていたい。そしてイエス様によって植えられた場所で、しっかりと根をおろして生きる者でありたいものです。
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋