気にしない
気にしない
「人の言うことをいちいち気にするな。そうすれば僕(しもべ) があなたを呪っても 聞き流していられる。あなた自身も何度となく他人を呪ったことを あなたの心はよく知っているはずだ。」
<旧約聖書 コヘレトの言葉 7章21,22節>
周りの人の声を気にしないで、自分が正しいと信じるように生きられたらいいなあ、と思います。しかし実際には誰かの一言に傷つき、落ち込んでしまうのが、わたしたちの現実ではないでしょうか。
ある本にこんなことが書かれていました。
「空の鳥が頭の上を飛ぶのは自由ですが、自分の頭に巣を作るかどうかは自由ではなく、普通許さないでしょう。人が自分の悪口を言うのは自由ですが、それを心の奥に迎え入れて、あれやこれや想像力を発揮して、『きっとあの人もこの人もこう言っているに違いない』とどんどん落ち込んで、元気がなくなっていくような生き方をするかどうかはその人次第です。…『自分は他人のことばを相手にして生きるのではなく、神のことばを目の前にして生きる』と、どこかで切り替える必要があるのです」(佐藤彰『教会形成の喜び』126,127ページ)
周囲の声に謙虚に耳を傾けることは大切なことです。しかしそれらの声を気にし過ぎて自分自身の心のバランスを失ってしまうことのないようにしたいものです。
使徒パウロは
「今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」
<新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙 1章10節>
と言っています。
わたしたち人間は、「人の間」に生きる存在ですが、人ごみを離れ、神様の前にひとり静かに心を養われる時間を大切にしたいものですね。神様がつくられた大自然の中に身を置いていると、自分が悩んでいたことがちっぽけに感じられてきます。
※写真は、先日甲府教会を訪問した帰り道からの富士山の眺めです。
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋