人間を照らす光
人間を照らす光
2週続けての台風も去り、一気に秋が深まってきました。
秋の楽しみと言えば…たき火です!
わたしは秋の夜長に、たき火を見つめながらゆったりとした時間を過ごすのが大好きです。
炎には不思議な魅力があります。
電灯などの人工的な光にはない、あたたかさや柔らかさがあります。
たき火の炎を見ていると、身体だけでなく心の中まであたためられていくような気がします。
以前読んだ本に、次のような言葉が書かれていました。
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「あなたを押しのけて私は生きる」結局このような生き方を私たちはしています。
そうでもしなければ生きてゆけないとよく言われますし、確かにその生き方で獲得することは多いのです。しかし、獲得の喜びと生命の喜びとは別であることに注意しましょう。
獲得の中で生命はむしろ不完全燃焼をかこっているのではないでしょうか。蝋燭が他を照らしながら自分自身は消滅してゆくように、燃焼とは本来他に仕えることなのです。
「あなたが生きれば私も生きる」、これはお人好しではありません。燃焼を求める生命の訴えなのです。
(藤木正三『神の風景』89ページ)
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「燃焼とは本来他に仕えることなのです」という言葉が心に響きます。
ロウソクやたき火が、自分自身を燃やしながら他を照らしあたためていくように、周りの誰かの幸せのために自分自身を燃焼させることができたら素晴らしいですね。
そして、誰かをあたためるような生き方をするとき、結果として自分自身も輝き、あたためられているのではないかと思うのです。
この光は「人間を照らす光」であるイエス様からもたらされるものであると聖書は教えています。
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
<新約聖書・ヨハネによる福音書1章4節>
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋