鹿のように
鹿のように
「近いからいつでも行ける」と思いながら、なかなか行く機会がなかった高尾山に、先日初めて登ってきました。
高尾山の山頂に行くにはいくつかの道があります。高尾山に詳しい方に「どの道がお勧めですか?」とお聞きしましたところ、「道沿いに沢が流れているので私は6号路が好きです」とのことでしたので、私もこの6号路を選びました。
当日は梅雨の晴れ間でかなり気温が高かったのですが、沢からのヒンヤリした空気と涼しげな水の音を楽しみながら山歩きをすることが出来ました。
途中、木陰で冷たい水(沢の水ではなく、持参した水)を飲み、深呼吸をしていると、心も身体も不思議と元気になっていくのを感じました。
涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。
<旧約聖書・詩編42編2節>
生物が生きていくためには水が必要です。
そして私たち人間は身体だけではなく、心にも潤いが必要な存在なのだとこの聖書の言葉は教えています。
「果たして自分は、野生の鹿が、涸れた谷を必死になって水を探し求めるようなひたむきさをもって神様を求めているだろうか?」と、反省させられます。
イエス様は「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」(新約聖書・ヨハネによる福音書7章37節)と招いておられます。
私はこの「渇く」という言葉が気になります。詩編42編で鹿が水を求めた「谷」は、「涸れた谷」でした。「渇いている」すなわち、「自分が渇いていることを自覚している」というのが大切なことなのかもしれません。
今年も暑さの厳しい季節を迎えました。
身体も心も脱水症状にならないように気をつけたいですね。
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋