黄金律(その2)
黄金律(その2)
「人からしてもらいたいと思うことを、自分も人にする」この言葉を実行しよう!そう思って自分が人にしてあげた親切が、喜ばれなかったり拒否されたりしたら、どんな気持ちになるでしょうか?
私だったら…「せっかく相手のこと考えてしてやったのに!」と腹立たしい気持ちになってしまうと思います。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にする」ということは単純なことのようで、実際には難しいことですね。
そんなことを考えていたある日、ある方からとても大切なことを教えられました。
「人のためを思ってしたことが、喜ばれなかったとき、十字架の上のイエス様の言葉を思い出すといい」
イエス様は病気の人を癒し、苦しんでいる人を救うために時間を忘れて働かれました。にも関わらず、人々から妬まれ、憎まれました。自分が持っていたものすべてを人類のためにささげつくした結果、イエス様を待っていたのは十字架上の死でした。
そんなイエス様が息を引き取る直前に十字架の上で祈られた言葉は次のようなものでした。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」
<新約聖書・ルカによる福音書 23章34節>
人のためにした真心からの行いが、受け入れられなかった―――その最たるものはイエス様の生涯と十字架の死でしょう。
「人が分かってくれなくても構わない。天の父なる神様はわたしの真実を覚えていて下さるのだから」
このイエス様の祈りの言葉は、相手の反応に一喜一憂することから、神様に覚えていただけることの喜びへと、私たちの思いを引き上げてくれます。
※写真は、韓国の祈祷院の丘の上に立つ十字架です。
セブンスデー・アドベンチスト八王子キリスト教会 牧師:伊藤 滋